いやはや、
ちょっとプライベートでショッキングな事がありまして、
まあ正直30年色々あっても気心が知れた者から「自分はその者にとって…ただの他人」だったと言う事を気付かせてくれました。
色々頑張って、色々探検して、色々楽しい事も苦しい事も過ごしました。
たった一言の言葉で「あっ、そうか」と思わされました。
普通だと、
「この30年色々あったが、ホント波乱万丈な人生で…」で綴られると思うのですが、
今日一日過ごした後、
「この30年何してきたんだろうか、ホント勿体ない人生を…」にとってかわりました。
全くもって何もやる気が起きません。
これをあの手の病というのなら、多分そうなのかもしれない。
気が付いたら、自分に誇れる何物も持っていないのです。
多分、気付かないうちに「自分自身の本音」を隠し同調する術を備えていたのです。
広く浅く追及する事も無く、時には仕事の憂さ晴らしにギャンブルも経験しました。
自分のさらけ出す事も出来ず、世間の流れに同調したかのように、自分の色も分からないまま、
ただ、がむしゃらに仕事だけは方向性のないまま突き進みました。
かつての自分は一体何をしたかったんだろう。
ある意味、依存した思考を持ち続けた結果、自らの思考の出し方を忘れてしまったのかもしれない。
どうしてこうなったんだろう…、
依存して過ごした自分自身が悪いのだ、そんな事はわかっている。
そう言う事だったんだなぁ…と何故か本日ストンと地面に何かが落ちた音がしました。
何もない自分。
道具や資材はあるのに何もできないこの状況が多分20年以上経っていたんだろう。
自分らしさが猪突に現れていた時は、そうだ、その者と距離を取っていた時だ。
そんな時に出会いがあり、
そんな時に人生の転換期があり、
そんな時に思考が変わり、
お陰様で今時分の相方はよく頑張ってくれる。
異国の側車乗りに出会い、
今では360度以上ぐるっと回った自分がいる、
多分その者との共闘では成しえなかった現実は、今まさに進行している。
そうだったんだ、あの頃から私はただのモブであり、他人であり、あの髭眼鏡が言っていた会話の通りじゃないか??
私は結局ただのつまらない一人だったんだ、
やりたい事を構わずやって良かったんだ、
そのやりたい事を見つけても良かったんだ、
それすらも依存していたんだ、
それを認めたくたなかったんだ、
それを認めたら後悔が生まれるから、
納得した、
さて、今更若い時代に戻る訳にはいかない、
言ってもいいんだ…、
「ほんと、つまんない人生をありがとう」
言っちゃいけない言葉なんだろうけれど、
言えちゃったわ、
さて、自分の潜れる舞台へ進もうか、もう遠慮無しでいいんだな、
とりあえず夕食食べようか。
ありがとう、ロシア氏、
ありがとう、URAL、
ありがとう、皆様、
明日はアジトでオイル交換だわ。
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